• 1ページに最大5人ずつ表示致します。
    表示件数が5人を超えている場合「NEXT」ボタンで次ページを表示できます。

前ページspaceTOPページspace次ページspace.gifHOMEページ

 
2008/07/23
英資(えいすけ)くん

 
 
来た時は3人。帰る時は4人。とってもとっても幸せです。

<ママより>
 長男、太一(3歳)は「おおらかに、真っ直ぐに」。でもおおらかすぎる故に行き過ぎることもしばしば(笑)。もし次が男の子だったら、そんな兄をたしなめ、助けとなるべく「スケ」と付けたかった。太一が付けた胎児名「エース」に「スケ」を合わせて「エイスケ」。私たちの素晴らしい宝物、太一の一生涯の助っ人、そんな意味を込めて漢字はパパがあてがってくれました。ようこそ、エイスケくん!!あなたに会える日を皆で待ち焦がれていましたよ。

<これは私が決めること>
私の周りでは、長男の時の「クリニックでの吸引分娩」は当然のこと。今回私が望んだ「助産院での自然分娩」はなかなか理解されがたいものでした。(陣痛の経過と精神状態を見守ってくれた人に取り上げてもらいたかったので)。夫は「医療行為が行えないってのは・・・」と。実母は「何も完全母乳や太一の立ち会いにまでこだわらなくても・・・」と。(今回、事情で里帰り(栃木)ができなかったのです)友人たちは「助産院って私も憧れたけどねえ・・・」。
私が自分の希望と引き換えに背負おうとしている「リスク」はそんなに大きいものだろうか・・・。すごくすごく悩みました。
助産院での出産を誰も「止め」はしないものの、「推し」てもくれませんでした。でも・・・新しい命を家族みんなで迎えられたら、この子を守るべくして先に生まれて来た太一も含め、皆の生涯の財産になる。「私を前に進めてくれるのは私しかいない」そう思いました。
反対を押し切る形は避けたかったので、夫に見学に同行してもらい、私の考えを全てぶつけました。正林先生と対面したら主人もどこかホッとしたようで、私が望むなら・・・と受け入れてくれ、思いこんだら曲げない性格を知っている母も「がんばれ」と言ってくれ、こちらで出産できる運びとなりました。

<信じることは果てしないパワーの源>
周りからの「まだかなコール」に急かされ気味の39週。気持ちとは裏腹に自覚兆候はゼロ。毎日30度を超す真夏の入口で私は、この10ヶ月を振り返りつつこの先に訪れる人生2回目の出産に少しだけ果敢な気持ちでいました。自分で決めた助産院の道。みんながびっくりするぐらいいい出産にしてみせるぞ。「その瞬間」に向けて、できるだけのことをやろうと心に決めて過ごしてきた10ヶ月。私なりに様々な壁はありましたが、信じて、乗り超えることで出産への自信につなげてきました。遊び盛りの太一に1日中付き合うことが一番ハードでしたが・・・。食べ物に気をつけたり、なるべく体を動かしたり。暑くなってからの腹帯はちょっとキツかったし、太一のことを怒りすぎたことも反省(笑)。でもなんだかんだで楽しめた妊娠生活でした。
 そして39週と3日の7月23日を過ぎた深夜、それまで「???」だったお腹に「!!!」を感じ、トイレでおしるしらしきものを発見。正林先生に電話。入院支度をもって、家族3人でこちらへ向かいました。深く眠っていた太一は半分寝ボケながらAM2:00の到着。果敢なつもりでいた私ですが、結構小心者で・・・。太一の時は22時間かかったので、今回もある程度の覚悟で、身支度を整える時に、陣痛促進の散歩用の日焼け止めと帽子を入れたりしていて(結局お日様を見る前に・笑)。
いざ!!正林先生の内診。エースの頭の向きを直してもらったり膜を子宮からはがしてもらうという刺激!!お産を進めるためとはいえ、ちょっとびっくり。このままスムーズにいけば朝方かな・・・の言葉通り、いやそれ以上にどんどん加速する陣痛。ついていけていない気持ち。思うように逃がせてないいきみ。正林先生のリードと恵理子先生のマッサージ、そして何もできずにうろたえながらもニヤついている(笑)夫にサポートされながら。大丈夫、きっと大丈夫。私がエースを送り出さないと。私が望んだ形で進んでいるじゃないか。私を進めるのは私なんだ。
 時計が3:30を回ったところで先生が「たいちゃん起こしてきて」。え!??もう産まれちゃうの?!だって前回1日かかったんだけど!! 寝起きの悪い太一は私の極限状態におびえ、夫の首にしがみ付いて目をそらしました。「太一! 起きて! 見て!」思わず叫んでしまった私。陣痛の大きな波に合わせていきむ。もりもりっと出口に向かってくるエースの頭を感じました。途中一旦休憩・・・おお!!はさまってる〜!!! うわあ〜!!そして次の波でまたいきむ。・・・会陰が熱〜くなったところでいきむのを止める指示。「手を出して!!」先生の言葉に両手を差し出すと、エースの顔が見えました。
わきに手を入れてズルッと引き出し私の胸へ。うわあ〜!!! エースだ、エースだあ〜!!!
とにかく無我夢中でその時その時の記憶が細切れですが、つなぎ合わせるとこんな感じです。
 きっとこんな風に元気に会えるって、ずっと信じてきたんだよ。しばらく長男の存在を忘れていましたが、エースが計測に行っている間に太一を呼び寄せ抱きしめました。「うわあ〜!!」と泣き出した太一。がんばったね、太一もエースもママの一番の宝ものちゃんだよ。正林先生を、家族を、自分を信じて本当によかった。私は、私以上のパワーを発揮できました。そしてエイスケくん、君は本当の意味で「エース」だったね!!

<家族だから>
あれから、太一はダイナミックな動きで「エースはズボーンって生まれてきたんだよね〜」と話してくれます。会陰切開もなく大したキズもつかなかったので本当に楽しく2回目の育児がスタートできています。
 妊娠直後に夫の中国転勤が決まり、産後からいなくなる不安で一時は泣いていた日々でした。でも今回の出産を通し、決めました。家族でついて行きます。今まで夫がサポートしてくれた分、今度は私がサポートしなくては。子供たちを連れて行く不安はありますが、私たちならきっと大丈夫!! 瑞生助産院での出来事が私たちの力になってくれます。 家族はいちばんの味方。信じてずっと一緒にいようね。
 先生、恵理子さん、内田さん、心からありがとうございました。「エースに会えてよかったね!!」長男の言葉が全てを物語っています。今度はニイハオ!で会いに来ますね。   

 
2008/07/02
心音(ことね)ちゃん

 
 
<ママより>

正林先生と初めて出会ったのは、長男の魁斗を妊娠した時でした。その時、私はまだ17歳になったばかりで高校2年生でした。何も知らない私に命の大切さや、妊娠の事、出産のことなど、やさしくいろいろと教えてくださったのを今でもはっきりと覚えています。「無事に出産できるのは奇跡的なことなんだよ!」と当時言われました。
 魁斗の妊娠中は特にトラブルもなく順調だったのに、出産は瑞生助産院で出来ませんでした。魁斗の頭がなかなかおりてこられず、1日正林先生につきっきりでみてもらったのに生まれて来ることができませんでした。そして、帝京で出産ということになってしまいました。正林先生の所では出産できなかったけど、魁斗も生まれてきてくれたしよかったと思っていました。帝京に私が入院してる間、毎日正林先生が来てくれておっぱいがよく出るようにマッサージをしてくれました。先生のおかげで魁斗の時も、長女心羽の時も母乳だけで育てていくことが出来ました。
 今回、3人目の妊娠がわかった時に「絶対今度こそは瑞生助産院で出産したい!!」と思っていたのですぐに先生に電話したのを覚えています。妊娠中は色々あり、切迫流産、切迫早産、入院といろいろあったけど無事に37週に入ってすぐ陣痛がきました。でも陣痛がなかなか強くならなかったり、子宮口がなかなか広がっていかず、スクワットしたり、歩いたり、階段を上ったり下ったりして30日にようやく入院。入院してからもなかなか生まれず、お灸や陣痛を強くするための足浴をしてもらったりしました。ようやく7月1日の夜に「子宮口が7p開いて、やわらかくなったよ!」って先生に言われた時はうれしくってスクワットをたくさんしました。
 今回、家族での立ち会い出産を希望していたので寝ている子供達を起こして出産に備えました。子供達に出産を見せると、こわがってしまうのかな? とちょっと不安だったけれど、そんな事は全然なく、頭が出てき様子をみて、「頭が出てるよ!」「頑張って!!」と応援していてくれました。子供達や主人がずっとそばにいてくれたのですごく心強かったです。何度も何度もいきんでようやく朝方4時01分に元気に生まれてきてくれました。生まれてすぐ、へその緒がついたままの赤ちゃんを胸に抱っこしたときの感動は言葉にならないくらい、うれしくてうれしくて!!
病院で出産した赤ちゃんは泣いているのに、へその緒がついたまま胸に抱っこしている赤ちゃんは安心しているのか気持ちよさそうに寝ていました。
 初めてたくさんいろいろな事を経験できて本当によかったです! 生まれてすぐにおっぱいもあげることが出来たし、病院では味わうことが出来ないことだらけでした。
魁斗の時と心羽の時は病院での出産だったので、一人で分娩室で出産した感じで、会陰切開の傷が痛み、食事もあまり食べられず、産後もなかなか普通に歩くことや座ることも出来ませんでした。でも今回の出産は家族みんなで出産が出来て一緒に生まれてきたことを喜ぶことが出来ました。会陰切開もしていないので出産して2時間くらいたったときの朝ご飯も、座って食べることが出来ました。
本当に貴重なすばらしい出産が出来たことを心から感謝しています。7年前から願っていたことが、今回できて本当に 本当によかったです! 陣痛中もずっとそばについていてくれて、やさしく指導してくださって、先生 本当にありがとうございました。
 出産に立ち会った子供達は、心音の事をすごくかわいがってくれてよかったです。出産した私に、魁斗と心羽が「ママ頑張ったね」って言ってくれたのはうれしかったです。主人もすごく感動したみたいです。貴重ですばらしい出産を経験できて本当によかったです。先生 ありがとうございました。
書きたいことが沢山ありすぎてうまく文章がまとまらずすみません。長文・乱文すみません。ご飯も毎回とてもおいしかったです。ありがとうございました。
 先生に出会えてよかったです!!

 
2008/06/30
惟心(いっしん)くん

 
 
<ママより>
 
長女を3年前に出産したのは産婦人科でした。
当然のように分娩台の上で会陰切開、退院後もまともに座ることが出来ず、全身筋肉痛で乳首もパックリ割れ、出産の喜びを味わうよりとにかく色んな痛みと戦う日々、産後がこんなにしんどいなんて・・・と気持ちも落ち込み気味でした。でも「みんなそうなんだ、出産する上では避けられないことなんだ」と思っていました。
 だから、ふとしたきっかけで瑞生のホームページを見て「痛くない?」「切らないでいい?」といろんなことに正直びっくりしました。娘も出産に立ち会え、入院も一緒にできるというのも有難く、もうその時点で「ここで産みたい!」と心は決まっていました。
9ヶ月に入ってすぐ切迫早産と診断され、それから1ヶ月少々の安静生活は家族にも負担を掛け、色んな不安が押し寄せ、気持ち的にもしんどい日々でしたが赤ちゃんは瑞生で出産できる正期産、37週まで頑張っておなかにとどまってくれ、37週3日で破水というおりこうぶりでした。
 6月29日午後3時頃入院し陣痛を強くするため階段の昇降、スクワット、お灸もして頂き、午後9時頃から徐々に痛みが強くなってきました。この辺りでは気持ち的にも余裕があり、陣痛と陣痛の間に腰を動かす運動をする気力もありましたが、午前2時半の全開大から全然先に進まなくなり朝方には“産婦人科へ移動して・・・”という話になってしまいました。「自力では産めないかも・・・」と痛みの中であきらめの気持ちが出てきていたけどいざそう言われてしまうと「やっぱりここで産みたい!」とかえって頑張る気持ちがわいてきて、何度も何度もいきみ、午前6時10分、ようやく惟心を自分の手で引っ張り上げ胸に抱くことが出来ました。あの時の感触・光景は一生忘れられないと思います。
 後で聞いた話では、恥骨の出口の骨がすごく出にくい形で一度沈んで浮き上がるように出て来なければいけないので時間がかかってしまったとのこと。そんな中、全く心拍は弱くならず頑張ってくれた惟心、君は生命力の強い子だね。
 3歳の長女も「ママ、がんばって!」と励ましてくれたり、汗を拭いてくれたりしてサポートしてくれました。「恐がるかな」という不安もありましたが、「もうおなかにはいないんだよ」「おしりからでてきたね」と赤ちゃんがママから生まれたことをしっかり認識していて、さらにものすごいかわいがりよう。立ち会ってもらって本当に良かったと思います。
 入院中は子連れでのんびりゆったり過ごせる和室がとても有難かったです。娘と生まれたばかりの息子が並んで寝ている姿も、とても幸せな気持ちにしてくれました。
 また、あんなにいきんだにもかかわらず、体の疲れは前回の出産とは比較にならないくらい軽く、当日から座って食事ができたことにびっくりでした。会陰切開をしないとこんなに違うんだなーと、改めて瑞生で出産できたことに感謝です。
 正林先生には、母乳育児のこともたくさん勉強させていただきました。長女も母乳で育てていたのに、知らなかったことばかり、一人目はトラブル続きの母乳でしたが、今回は自信を持って続けていけそうな気がします。またどんな状況でも冷静で的確なアドバイスや指示を出してくださる先生だから全てをお任せして、頑張る気持ちになれたのだと思います。
命を預かるお仕事は本当に大変だと思いますが、先生ご自身のお体もご自愛ください。
 瑞生助産院のスタッフの皆様、本当にありがとうございました。

 
2008/06/15
希海(のあ)ちゃん

 
 
<パパより>
正林先生はじめ瑞生助産院で、お世話になった皆様へ心より本当にありがとうございます。

<ママより>
 4年前、長女は自宅に助産師さんに来てもらい出産しました。特にこだわって、というわけではなかったのですが、ここ、と思う病院が見つけられず、リラックスして産みたいな、くらいの気持ちでのぞみました。妊娠経過も順調で思ったより楽に長女を出産、しかしその後、胎盤が出て来ず、結局 出血も多く、救急車で病院へ行き 全身麻酔で用手剥離、私だけ入院となってしまいました。その時には、とれなければ子宮もとる と言われ、出血も3リットル以上あり、目が覚めたときには、出産の喜びよりまず、命があることに感謝したくらいでした。
 そのため、もう二人目はこわくて産めないな、と思いながら子育て、でもやはり兄弟を作ってあげたい。と思いはじめてついに妊娠を、うれしい反面どこで産もうか、と迷いが出てきました。さすがに自宅は、周囲の止めも入り、また私の父の入院が重なり、母の手伝いが期待できなくなったため病院か助産院選びに。安心のためには もちろん病院で、と思ったのですが、長女も含め、家族みんなでお産をしたい。という気持ちも強く、どこか助産院でうけてくれるなら、という思いでさがしはじめました。そして1軒目にtel。なんだか忙しそうで、とりあえず5ヶ月位から来てください、とのこと。2軒目が瑞生さん、長女の時の経過をゆっくりと聞いてくださり、大変でしたねえ、となんだか自分自身にため込んでいたものをはき出せたようで、涙があふれてしまいました。そして、それでもやりたいならうけてくださる、とのこと。本当にうれしかったです。
 はじめての健診、夫と長女とで行き、とても家庭的な雰囲気にまた安心。長女もおもちゃや絵本に目を輝かせていました。妊娠経過も順調でいよいよ臨月に。長女は予定日2日前に生まれているので、のんびりとしていたら、37週の産婦人科での健診で、もう子宮口が3p開いているから、いつ陣痛がきてもおかしくないよ、とのこと。あせって入院準備をし、いまかいまかと待ち続け、38週で瑞生さんへ。やはり4p開いているから、この数日かも、とのこと。長女もいるため、急いで私の母に来てもらい、・・・そして39週5日目午前の健診、もう5〜6p開いていると。でもすこしはりはあるけど、全然痛みが来ない。ちょうど日曜日で夫も休みのため、できれば今日 生まれてほしい!!
一旦帰り、家のことや犬の散歩をして陣痛を待つけど・・・、そこへ正林先生からのtel。鍼灸の先生が来るからやりに来てみては、とのこと。念のため入院物品も持って行き、お灸などやっていただくがやはりじんつうらしいものはこない・・・。先生も迷っていましたがまた家に帰りました。夕飯を食べ、お風呂に入り、長女をねかせ、今夜は無理かなと、と横になったとたん、9:40頃より強い痛みが!ぜったい陣痛だ、と思ったので夫を起こし準備をすると5分ごとに痛みが。こんなに急に、と思い先生にtelをし、10:30すぎに瑞生さんに着き、モニターを少しつけ、少し待合室でまっていて、と言われてベッドをおりてからは痛みとの戦いでした。夫にしがみつき、長女もガンバレ!!と応援してくれて、あっと思うと出てきそうな気配が、なんとかベッドに戻り、体勢を整えたらあっという間に出てきてしまいました。そして心配した胎盤はすぐにきれいに出てきた様子。しかしここからが本当のたたかいでした。子宮が戻らないようで出血が止まらず先生方が汗だくになりながら止血やマッサージ・お灸・点滴もして、約1時間で何とか落ち着き、やっとベビーをゆっくり抱くことが出来ました。最後の1時間は、前回のお産をおもいだし、不安と痛みと熱さ(お灸の)で負けそうになりましたが、先生方や夫、長女の励ましに頑張ることができました。本当にみんなに感謝です。
 その後は貧血はあるものの順調に回復し、入院中から家にいるようなゆったりとした時間を過ごすことが出来ました。長女もかわいい!!と抱きしめ、こちらが心配になるくらいお世話をいっぱいしてくれています。ちょっとだけ心配していた(こわいかな、と)立ち会いも全然 大丈夫だったようで、本当に貴重な経験をさせていただけたと思います。3人目は経済的に無理そうですが次があれば絶対にまたここで、 と思います。
 最後になりますが、スタッフの皆様には本当に助けられました。ありがとうございました。以前から助産婦さんのすばらしさは感じていましたが、今回あらためて偉大だと思いました。これからもたくさんの妊産婦さんに、お産や子育てのたのしさ・感動を伝えていってください。

 
2008/06/13
龍(ミル)くん

 
 
<ママより>
 今回の出産は、瑞生では3人目の私にとっては、4人目の出産となりました。去年の10月頃に妊娠が発覚し、私も主人も迷わず正林先生にお願いしなくてはと大笑いしたことを覚えています。
 順調良く、月数が経つにつれ何故か私は今回の出産にとても不安を抱いていました。もしかしたら痛みに耐えられず泣いてしまうかもしれない。前向きに痛みを受け入れる自信を持てないかもしれない。だから私がちゃんと前向きになれるよう色んな言葉で励ましてね。と主人に初期の頃から話していました。そんな不安もありつつおなかはどんどん大きくなり上の3びき達も「おなかおおきくなったね」とうれしそうになでてくれました。3びき達に「この子はどこからでてくるでしょうね〜?」と聞くと「おしり−!!」と、「よし、じゃ どこからでてくるか ちゃんとみせてあげるわな」と約束しました。3びきは動くおなかにビックリしながらも「赤ちゃん 早くでておいで」と弟の存在を認識してるようでした。
 途中、逆子にもなったけれど無事 元に戻りトントンと月日が経ち37Wにやっと入ったことで私は少し不安もあるけれど痛みを受け入れる覚悟はできていました。よし、あとは産むことだけを考えよう。けど、健診のたびに「大きいね−頭が・・・」と言われていて、私自身 上3人とも頭が大きかったことからちゃんと出口からでてくるのかな?と常に心配にはなっていました。が、産むしかない。方法は一つ、産むだけ。
 6月9日 予定日当日、内診してもまだ1p、生まれる気はない様子。私は大きくなりすぎたおなかとあって早く出てきて欲しい気持ちでいっぱいでした。このまま陣痛が来ないと、また産婦人科に・・・それだけは避けたい。正林先生が、だったらお灸と針で様子を見ようかという言葉にとても安心し、6月12日お昼、高橋さんにおなかの中で眠る我が子を起こしてもらいました。その日は帰宅、お灸と正林先生の「出ておいで」内診の合図をちゃんとおなかしている我が子に伝えるため、トイレでスクワット・フラフープ体操と体をあたため、痛みが来るのを待ちました。その日の夜、8時 やっとミル(龍)が目を覚まし、出てくる合図を私に送ってきました。ミルの合図を感じたとき、また「恐い どうしよう」と不安が・・・どうして今回は? 今はそんなことを考えても仕方がない。始まったらミルが出てくるまで終わらない。8時から10分の間隔、それからなかなか進まない。もしかしてカラブリ? いや、痛みは続いている。これが本番のはず、先生と何度か電話でやりとりし、一度診察することに、車のゆれもあってか7分間隔に、これはいい進み方かも・・・瑞生に着いてからNST、5〜6分間隔に。このままいけば朝方には・・・。2階で朝が来るのを楽しみに待つこと3時間。一向に痛みも進まない。やっぱりミルはまだ出たくなかったのかな? けど痛みが強くなればお産になるからと、先生の言葉に安心し、よし頑張ろう、不安がってちゃお産はできない。主人や子供達も頑張れと勇気づけてくれました。がAM9:00、少しあせった私は廊下でウロウロ、ミルが出やすいようにウロウロ、しばらくすると3分間隔に、痛みも強い、このまま1分間隔に・・・。間隔は7〜8分に。けど痛みだけはしっかり進んでいる。前向きに受け入れるつもりでいた痛みも、いつの間にか受け入れられず半べそ状態・・ついに涙が・・・。誰か助けてと 今にも叫び出しそうな気持ちをグッとこらえ、泣いていました。ここで産むと決めた以上、他では産めない。この痛みから逃げたい為に病院をかえても後悔しか残らない、自分が信じて安心して任せられる人たちじゃないと産めない。たくさんのことを思い浮かべ、ミルが出るところを子供達に見せてあげたい。これは、これから生まれてくるミルを含め、4人の母親、父親としてあらためて覚悟して育てて行かなくちゃいけない私達の試練なんだ。残り1本となった私の心の糸を、私を見守る正林先生、主人、子供たち、母、スタッフの方々が強くて太い糸へと変えてくれたのです。だから どんなに強い痛みが来てもあきらめず、叫ばず、ミルがでてくるまで頑張れたのです。そうしてやっと出てきたのが頭囲36p、3800gのミルだったのです。頭囲36pじゃなかなか出れないはずでした。ミルもみんなのおかげで出てくることができたんです。生まれたい気持ちとそれを助けるみんなの力で。でも、4人目がこんなにも私に大きな財産を残してくれるとは思いもしなかった。今回のミルの出産で、私は本当に最後までやりとげられた事にとても大きな喜びを感じ、回りの助けがあったからこそ私も乗り越えられたんだと、あらためて感謝することが出来ました。そして、何よりも子供たちにしっかり自信をもって、たくさんの事を教え・伝えていくことができると強く感じました。
本当に瑞生助産院で、正林先生を信じ 家族の見守る中で最高の出産が出来たことは、私たち家族の財産です。ありがとうございました。本当にここで産めてよかった、よかった。

line

前ページspaceTOPページspace次ページspace.gifHOMEページ



- Topics Board -